失われた建安文学作品

こんばんは。

曹植作品に見える表現で、
とても珍しい、空前のものと見られるものは少なくありません。
この頃、そのような指摘を割とこちらで多くしてきたように思います。

ですが、曹植の周辺にいた建安文人たちの作品で、
現存するのはそのごく一部だということに注意しておかなくてはなりません。

兪紹初輯校『建安七子集(中国古典文学基本叢書)』(中華書局、1989年)は、
建安七子たちの作品を集めた、先人たちの様々な輯本をもとに、
孔融、陳琳、王粲、徐幹、阮瑀、応瑒、劉楨の詩文を、
各人一巻ずつにまとめて収載していますが、

『隋書』巻35・経籍志四には、彼らの別伝は次のとおり記されています。

後漢少府孔融集 九巻 梁十巻 録一巻
後漢丞相倉曹属阮瑀集 五巻 梁有録一巻 亡
魏太子文学徐幹集 五巻 梁有録一巻 亡
魏太子文学応瑒集 一巻 梁有五巻 録一巻 亡
後漢丞相軍謀掾陳琳集 三巻 梁有十巻 録一巻
魏太子文学劉楨集 四巻 録一巻
後漢侍中王粲集 十一巻

「魏陳思王曹植集三十巻」に比べると作品数は少ないのでしょうが、
それでも、建安七子の作品の、相当な分量が失われたということが知られます。

曹植独自の表現だと思っていたところが、
実は、彼を取り巻く文人たちの間ではよく用いられる言い回しだった、
という可能性も十分にあり得ます。*

2021年10月19日

*このことは、こちらで述べた「冒顔」という語句に関して、古川末喜氏からいただいた示唆によるものです。ありがとうございます。