妻をなだめる夫の詩

こんにちは。

後漢末の秦嘉という人は、
郷里の隴西郡から会計官として上京する際、
病に伏して同行がかなわない妻に宛てて、三首の詩を贈りました。
以下に示すのはその二首目です。

皇霊無私親  大いなる神霊にえこひいきはなく、
為善荷天禄  善行を積めば天からご褒美をいただける。
傷我与爾身  それなのに、痛ましいことに、私とお前とは、
少小罹㷀独  年若くして肉親を失う目にあった。
既得結大義  結婚してからも、
歓楽苦不足  ともに歓楽を尽くす機会にはほとんど恵まれなかった。
念当遠離別  遠く離別する今、
思念叙款曲  わたしは心からの思いを細やかに述べたいと思う。
河広無舟梁  河は広くて舟も橋もなく、
道近隔丘陸  道は近くても丘陵に隔てられている。
臨路懐惆悵  路上に臨んでは恨みを抱き、
中駕正躑躅  車を前にしてはぐずぐずと出発をためらう。
浮雲起高山  浮雲は高い山からわき起こり、
悲風激深谷  悲しげな風は深い谷に激しく吹き付ける。
良馬不廻鞍  だが、よき馬は鞍の向かう方向を変えず、
軽車不転轂  軽やかな車は車輪を回らせて後戻りするということはない。
針薬可屡進  おまえは鍼灸や薬をたびたび用いるがよい。
愁思難為数  心配事はやたらとするものではない。
貞士篤終始  貞節ある男は、最初から最後まで篤い真心を貫くのであって、
恩義不可促  二人の間に結ばれた恩義は、あくせくと求めるものであってはならぬ。

この最後の句は、「促」字を「属」に作るテキストがあります。
鈴木虎雄は「属」に作るのを是とし、
内容的に、『礼記』喪服四制にいう「門内之治、恩揜義、門外之治、義断恩」
(家庭内では、愛情が公義を覆い、家庭外では、公義が愛情を遮断する)を踏まえて、
「恩」と「義」とは同列に連ねるわけにはいかないという意味に解釈しています。
「このたびは恩愛の綱はたちきらねばならぬ」というわけです。*1

これに対して、内田泉之助は「促」の方を取って、これを字義通りに解釈し、
「恩義は永続すべきで、それを故意に短促中絶すべきでない」の意で捉えています。*2

手元にあるものを見た限りでしかないのですが、
この部分については、先人の誰もが理解に苦しんでいるようでした。

私の解釈は前掲の訳文のとおりです。

仕事で遠く都に旅立つ夫に対して、自分のことを忘れ去るのではないかと心配する妻と、
その妻の心中を察しつつ、彼女のわだかまりを解きほぐしてなだめようとする夫。
もしこれで疎通するならば、こういう夫婦は今もいそうだなと思いました。

2021年8月4日

*1 鈴木虎雄訳解『玉台新詠集』(岩波文庫、1956年第3刷、初版は1953年)上、p.116~117を参照。
*2 内田泉之助『玉台新詠』(明治書院・新爵漢文大系、1988年8版、初版は1974年)上、p.87~88を参照。