学者の眼識
こんにちは。
昨日に続いて、『曹集詮評』の校勘作業に関連して。
その巻頭に並んでいるのは辞賦作品ですが、
厳可均(1762―1843)の『全上古三代秦漢三国六朝文』を参照すると、
六朝時代までの文献の面影をよく伝える類書を、最大限尊重していることが窺えます。
丁晏『曹集詮評』が底本とした明代の程氏刻本や、
その校勘に用いられたという張溥『漢魏六朝百三名家集』は、
完全なかたちに近い姿の作品を多く収録しているという良さはあっても、
個々の部分に雑駁さがあるのだろうことは容易に想像されます。
もし、断片でも類書に収載されているならば、それは貴重な資料です。
厳可均がそれらを重要視したのは実に適切な判断でしょう。
ところで、宮崎市定「張溥とその時代:明末における一郷紳の生涯」は、*
この『漢魏六朝百三名家集』の編者について、
「彼は本質的には今日いう所のジャーナリストであったと考えるのが一番適当」と評し、
「厳可均の『全上古三代秦漢三国六朝文』が出来た上は、
張溥の一百三家集は無くもがなの書のように思われる」とまで言い切っています。
時代ごとに、その気風に適合した文化人というものが現れるのでしょう。
一方、長い時を渡って伝えられてゆく言葉や物があることも、また真実だと思います。
2021年1月7日
*『宮崎市定全集13』(岩波書店、1992年)所収。初出は『東洋史研究』33巻3号、1974年、p.323-369。
※その後、『曹集詮評』の校勘作業を進める中で、丁晏は、厳可均が見落としていた資料、特に『北堂書鈔』所収のそれを実によく拾っていることがわかってきました。(2021.02.06追記)