家を出された女性の自尊感情

こんにちは。

古楽府に科白が多用されることは、
田中謙二氏によって指摘されているところですが、*1
どこからどこまでが誰の科白なのか、不分明なことも少なくありません。

このことは、古楽府によく似た古詩においても同様で、*2
たとえば『玉台新詠』の巻頭に置かれた次の古詩もそのひとつです。

01 上山采蘼蕪  山に上って蘼蕪(センキュウ)を採り、
02 下山逢故夫  山を下るときに元夫に出会った。
03 長跪問故夫  両ひざをついて腰を伸ばし、元夫に問いかけた。
04 新人復何如  「新しいお人はどんなご様子ですか。」
05 新人雖言好  「新妻はきれいだとはいえ、
06 未若故人姝   元妻の見目麗しさには及ばないよ。
07 顔色類相似   顔つきは似ていても、
08 手爪不相如   指先の美しさは比べ物にならない。」
09 新人従門入  新妻は門から入り、
10 故人従閤去  元妻は脇のくぐり戸から去っていった。
11 新人工織縑  新妻はかとり絹を織るのに巧みで、
12 故人工織素  元妻は染めていない白絹を織るのに巧みだった。
13 織縑日一匹  かとり絹を織るのは一日に一匹、
14 織素五丈餘  白絹を織るのは五丈余り。
15 将縑来比素  かとり絹をもってきて白絹に比べてみれば、
16 新人不如故  新妻は元妻にはかなわない。

今、このように通釈してみたのは、
松浦崇氏の所論による啓発を受けてのことです。*3
まず、氏の所論の一部を、以下のとおりかいつまんで紹介します。

本詩は、大きく二つの部分に分けられ、
第1・2句は前半八句の導入部、第9・10句は後半八句の導入部となっている。
内容は、以下のとおり、当時における女性の「四徳」をすべて織り込むものである。
第3・4句では、言外にそれとなく元妻の気立ての良さが表現され、
第5・6句は、彼女の言葉遣いの美しさを表現するものであり、
第7・8句では、指先にまで及ぶ容姿の美しさを詠じ、
第12・13・14・15・16句は、彼女の手仕事の巧みさを描写している。
このように女性の理想像を余すところなく描いた本作品は、
女性の読者を想定した『玉台新詠』の巻頭を飾るにふさわしいものである。

以上の論述内容の中で、特に深く納得させられたのは、
本詩がちょうど半分に分割されるということ、
それぞれの最初の二句が、以下に続く部分の導入となっているという指摘です。
これを踏まえ、個々の語釈を吟味した上で、前掲のように訳しました。

「子なきは去れ」が一般通念であった時代、
涙を呑んで婚家を離れた女性たちは少なくなかったでしょう。
元夫は、再会した元妻の、見た目の美しさばかりを言い募るのですが、
それを聞かされる元妻の心中はどうでしょうか。

もしかしたら後半の八句は、
世間的には不幸と見えただろう女性たちへの賛歌かもしれない。
婚家の期待には沿えなかったけれど、
自らの仕事に誇りを持つ女性の自尊感情を、
第三者の視点から代弁しているように思えてなりません。

もっとも、これは私なりの解釈です。
先人たちもみな、それぞれに解釈されています。

2021年9月4日

*1 田中謙二『楽府散曲(中国詩文選22)』(筑摩書房、1983年)p.35を参照。
*2 田中前掲書p.54―59に、本作品が「ふつう古詩と呼ばれている一篇の古楽府」として紹介され、第4句、及び第9・10句を元妻の科白、第5・6・7・8句、及び第11・12・13・14・15・16を元夫の科白として捉えている。
*3 松浦崇「古詩「上山采蘼蕪」考」(『中国文学論集』第12号、1983年)を参照。本詩の解釈をめぐる諸説も、この論文に分析的に紹介されている。