小舟に乗ってバランスをとる

昨日述べた、宮廷歌曲の大衆化、やっぱりこれは言い過ぎです。
魏晋の時代の民間の歌謡を概観すれば、それはすぐに分かることです。
「薤露」のような五言の句型を取るものが、そこにはほとんど認められません。

前漢以来、宮中で歌われてきた「薤露」が、
(後漢に入ると、外戚などの催す宴席にも波及するのですが、それはひとまずおいて)
魏の時代、曹操の歌辞によって特別な意味を帯びることとなった、
それが、西晋王朝に移行すると、一介の文人が替え歌を作るまでに一般化した。
こういうことだろうという見通しです。
実態から乖離した“強い”言葉は、よろしくないですね。

さて、今日、学科内のFD(教え方の勉強会)で、
ICTを効果的に用いた授業を展開されている同僚の方々のお話を聞きました。
様々な分野の専門家がいるので、こうしたお話が聞けるのです。

これは自分も取り入れたいし、また取り入れることが有効だと思うものあり、
また、古典文学の教育にはあまりなじまないかと思うものあり。
当たり前のことですが、取捨選択が必要だと思いました。

自分が教員となってこのかた30年あまり、
特にコンピュータやネット環境の方面で次々に新しいことが起こりました。
道具を使いこなすことだけで終わってしまうのは論外ですが、
新しい道具すべてに背を向けるのではなくて、
時代の流れに沿いながら、でないと、本当に継承すべき大切なものも守れない。
バランスを取るのが難しく、また面白いとも感じます(元気なときは)。

それにしても、専門以外のことをなんとたくさん身につけなくてはならないことか。

それではまた。

2019年7月24日