平賀周蔵の為人

こんばんは。

今日も、江戸時代の安芸の国の漢詩人、平賀周蔵について。

以前、こちらで紹介した「遊嚴島留宿視遠連日」詩(『白山集』巻三)の直前には、
「除夕、赴嚴島途中」と題する、次のような詩が収載されています。

優游吾独是  悠悠自適とは、私だけがこれであり、
心跡両相親  心と行いと、両方がぴったりと適っているのである。
寒候仍除夕  寒い天候で、今なお大晦日だが、
煙容已立春  靄の立ち込める景色は、すでに立春である。
風涛行望島  風にあおられて逆巻く波を、超えてゆきつつ島を望み、
海駅不迷津  海の駅に、渡し場を見失うことはない。
笑彼都人士  笑止千万、かの都の人たちは、
栖栖誤此身  あくせくと忙しくして、その身を誤っている。

宮島に向かって漕ぎ出だした舟に乗る彼は、
このように、俗塵にまみれてあくせくと奔走する人々を笑っています。
そして、その俗世とは逆の世界にあったのが、宮島とその土地の風流人であったようです。

中国古典文学の世界では、
隠遁志向はおおよそ常に現実批判と表裏一体のものですが、
江戸時代の日本の場合はどうでしょうか。

素人の素朴な感覚に過ぎませんが、
少なくとも、平賀周蔵という人物についていえば、
彼は、ただ単なる脱俗的風流人であったというだけのようには感じられません。

なぜそう感じるのか。
それは、彼と赤松滄洲との関係が念頭にあるからかもしれません。

その『白山集』序における赤松滄洲の筆致から、*
二人の間には、非常に強く響き合うものがあったと感じ取れます。

この赤松滄洲という儒者は、
たとえば岩波『日本古典文学大辞典』によりますと、
主君に対しても諫言を憚らない気骨のある人物であったらしく、
学問の自由を制限する寛政異学の禁に対しても、厳しくこれを批判したといいます。

そのような人と価値観を同じくし、すっかり意気投合したというのですから、
平賀周蔵もまた、静謐な雰囲気の中に、強い意志を秘めた人であったのだろうと想像されます。

2022年9月13日

*『白山集』は、国立公文書館デジタルアーカイブ(https://www.digital.archives.go.jp/)で閲覧・ダウンロードできます。平賀周蔵の姿を描いた月僊による図画も、その中に収められています。