延年という名前

こんにちは。

先日、魏の左延年という楽人に触れました。
この名前は、前漢王朝の協律都尉(楽官)李延年を想起させます。
また、「羽林郎」(『楽府詩集』巻63)という詩歌の作者、後漢の辛延年の名も思い浮かびます。

もしかしたら、「延年」は、楽人・楽府に関わりが深い名前なのでしょうか。

そもそも楽府という役所は、
前漢の武帝が、(不老長生を願って)天の神を祭る制度を作る際、
不老長生を祈願する民間祭祀に音楽が伴うことを耳にして、
モデルとなり得るそうした民間歌謡を収集するために創設したとされています。*1

ですから、そうした場所で働く人の名前に多く「延年」が用いられるのかと思ったのです。
ところが、この名前は楽人の占有ではありませんでした。

前漢時代には、『漢書』に姓名が記載されている人に限っても、
先の李延年以外にも、張、杜、田、厳、姫、劉、雕、韓、解、乗馬、孔といった姓で、
延年の名を持つ人がいました。
このうち、劉延年は漢王室の人々で、複数(8名)います。*2
(皇族と同じ名前を一般人が名乗ってもかまわなかったのでしょうか。)

興味深いのは、この延年という名前は、武帝期以降の人にしか見えないこと、
そして、後漢以降は、これほど多くは見えなくなるということです。
世の人々が、あまりそうした名前を子につけなくなったのか、
あるいはまた、歴史書に記載されるような人物の層が移ろったのでしょうか。

長寿を願う習俗と、人々の名前と、楽府の創設と、楽人の名称とは、
どこかで一脈つながっているように思えてなりません。

*1 釜谷武志「漢武帝楽府創設の目的」(『東方学』第84輯、1992年7月)を参照。
*2 魏連科編『漢書人名索引』(中華書局、1979年)を参照。

2020年4月27日