建安詩人たちの公讌詩
こんばんは。
昨日、『文選』所収の「公讌詩」について、
元々まとまりを為していた「公讌詩」と題する作品集から、
佳作を選りすぐって抄録したものである可能性はないかと述べました。
当時、公讌は一回だけのものではなかったでしょうし、
その作者も、曹植・王粲・劉楨、そして応瑒だけではなかったはずです。
そこで、逯欽立『先秦漢魏晋南北朝詩』(中華書局、1983年)を手引きとして、
建安詩人たちの公讌詩を探索してみました。
すると、応瑒には、昨日挙げた「侍五官中郎将建章台集詩」とは別に、
「公讌詩」と題する作品が『藝文類聚』巻39、『初学記』巻14に見えています。
同じく『初学記』巻14に引かれた「阮瑀詩」が、
『詩紀』巻17では、阮瑀「公讌」として収載されているという例もあります。
また、『文選』巻20所収の曹植「公讌詩」と、同巻22所収の曹丕「芙蓉池作」とが、
よく指摘されるように、もし同じ機会に作られたものだとするならば、
曹植にも「芙蓉池作」と題された作品が残っています。
これは、『藝文類聚』巻9に、曹丕「芙蓉池作」に続けて引かれた曹植の詩を、
『詩紀』巻14では「芙蓉池」として収録するというケースです。
加えて、曹植「侍太子坐詩」(『藝文類聚』巻39)が、
「公子 客を敬愛し、宴を終ふるまで疲れを知らず」と詠ずる
『文選』所収の曹植「公讌詩」と同じ機会の作でないとも限りません。
こうしてみると、
公讌が幾たびも開催された可能性も否定できませんし、
一度の公讌で、一人の詩人が複数の詩を作った可能性も否定できません。
そして、もし仮に公讌詩を集めた作品集があったとしたら、
それは、すでに選りすぐられた佳品集であったのかもしれないと思われます。
というのは、応瑒「侍五官中郎将建章台集詩」は、
曹植「公讌詩」と言葉を共有し、同じ会での作と推測できるのに、
詩題を共有していない、つまり、作品集「公讌詩」(仮)には収載されていない、
ということになるだろうからです。
以上、後半は妄想半分です。
2021年11月19日