当たり前は記されない

こんにちは。

やっと先が見えてきた曹植「名都篇」の訳注稿、
語釈において意外と手こずったのが、料理の内容やその調理法についての説明です。

膾鯉臇胎鰕  鯉を膾(まなす)にし 胎鰕を臇(あつもの)にし、
寒鼈炙熊蹯  鼈(すっぽん)を寒にし 熊蹯(くまのてのひら)を炙(あぶ)る。

まず、料理の素材として並んだ語のうち、「胎鰕」は未詳です。
これと対を為す「熊蹯」、またその上に並ぶ「鯉」「鼈」は他の作品でも見かける語ですが、
「胎鰕」は、辞書や類書などでも大抵、曹植のこの「名都篇」が用例に上がります。
『文選』五臣注の劉良注、
趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)、
あるいは『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社、1990年)はこれに語釈を施していますが、
それだって、何か根拠となる一次資料が示されているわけではありません。

更に、「寒」という調理法の説明にも困りました。
『文選』李善注は、前漢の桓寛撰『塩鉄論』散不足での用例に加えて、
後漢の劉煕撰『釈名』釈飲食の説明を挙げ、「寒」「韓」が通じることを付記して、
その調理法が韓の国由来のものであることを示しています。
ですが、肝心の具体的な調理法は不明です。

なぜ、「寒」という料理について具体的な説明が為されないのか。
それは、漢魏の時代、「寒」はあまりにも当たり前の語句であったため、
わざわざその調理の実態を示す必要はないと判断されたのではないかと想像します。

思うに、「寒」という調理法に、この字本来の意味が含まれないはずはないでしょう。
「寒食」という語で示される風習があることから推し測られるように、
これは今でいう冷製のようなものかもしれません。

あまりにも当たり前のことは、文献に足跡を残さないものなのかもしれません。

なお、「寒」と「膾」とを対句で用いる例は、
曹植「七啓」(『文選』巻34)にも次のとおり見えています。

寒芳蓮之巣亀  芳蓮の巣亀を寒にし、
膾西海之飛鱗  西海の飛鱗を膾にす。

こちらの李善注には、「寒、今〓[月+正]也(寒とは、今の肉の炒り煮である)」とあり、
続けて前掲の『塩鉄論』『釈名』を同様に引いています。

2021年4月21日