忘れ去られた漢詩

こんにちは。

昨日、平安朝の『千載佳句』や『和漢朗詠集』には、
「王昭君」という部立てが単独で設けられていることに触れました。

では、どのような作品がそこに収録されているのでしょうか。

『千載佳句』上、人事部、王昭君に収載されているのは、陳潤なる詩人の「王昭君」のみ。
同詩句は、『全唐詩』巻773には、王偃の「明君詞」として収載され、
同巻の冒頭に、それが『玉台後集』より採られたということが記されています。
『玉台後集』は、李康という人物の編纂になるもので(『新唐書』巻60・藝文志四)、
李康は、徳宗・憲宗期、剣南東川節度使を務めた人です(『旧唐書』巻13・徳宗紀下ほか)。
すると、『玉台後集』は、白居易や元稹らと同時代に編まれた選集のようです。

また、『和漢朗詠集』巻下、王昭君に収載されているのは、
中国の漢詩では白居易「王昭君」(『白氏文集』巻14、0805)一首のみ。
これに続けて引かれているのは、紀長谷雄、大江朝綱、源英明による日本漢詩です。

ちなみに、『新撰朗詠集』は、『千載佳句』所収の句を、陳国なる作者名で採録します。
部立てや、日本漢詩が多数を占めていることは、『和漢朗詠集』に同じです。

このように、平安朝中期以降に成った『千載佳句』『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』には、
嵯峨朝の日本漢詩も、それに影響を与えた六朝詩も採られていません。

よほど朗詠に適さないと思われたのか、それとも、
すでに、六朝詩の影響を受けた嵯峨朝の日本漢詩は時代遅れだったのでしょうか。
それに代わって収載されているのは、白居易詩やその頃の漢詩、
そして、遣唐使廃止後の日本漢詩です。

漢詩文全盛期の日本は、
平安朝の人々にとって忘れ去りたい過去だったのでしょうか。

2020年10月20日