恥ずかしい間違い
こんばんは。
『文選』李善注に引かれている『孫卿子』が『荀子』のことだと、今日初めて知りました。
『孫卿子』は『孫子』のことだと思い込んでいたのです。
「孫」「子」までが一致しているので、疑いもしていませんでした。
興膳宏・川合康三『隋書経籍志詳攷』(汲古書院、1995年)を手引きに確認すると、
『漢書』巻30・藝文志、諸子略、儒家類に、
「孫卿子三十三篇。〈名況、趙人、為斉稷下祭酒、有列伝。〉」、
その『漢書』顔師古注に「本曰荀卿、避宣帝諱、故曰孫。」とあり、
「荀卿」を「孫卿」と呼ぶようになったのは、
前漢の宣帝の諱「詢」を避けるためであったと知られます。
(宣帝の諱は、『漢書』巻8・宣帝紀の顔師古注に引く荀悦の注に記されています。)
なお、『史記』巻74・孟子荀卿列伝には「荀卿」のままで記されていますが、
(司馬遷の『史記』執筆は、宣帝期よりも前の武帝期ですから、これは当然です。)
当該部分に対する司馬貞『索隠』にも、
「名況。卿者、時人相尊而号為卿也。……後亦謂之孫卿子者、避漢宣帝諱改訂也。」と、
前掲の『漢書』藝文志やその顔師古注と同様な説明が見えています。
(司馬貞は、顔師古(581―645)よりも100年ほど後の、唐代の人です。)
初唐に成った『隋書』巻34・経籍志三には「孫卿子十二巻」とありますから、
ほとんど同じ時代の李善が、『荀子』ではなく、『孫卿子』と記すのは当然のことでした。
勝手な思い込みがほんとうに恥ずかしい。
2020年11月20日