恩師の言葉を記すのは

こんばんは。

本日、「贈丁儀王粲」詩の訳注稿を公開しました。
龜山論文のおかげで、私としては納得のいく通釈にたどり着けたように思います。

こうした地味な作業は、時を忘れさせるものがあります。
ただ、それのみに没頭すると、近視眼的になる傾向がないではありません。

遠くと近くと、両方を見ていないと判断を誤ると思います。
視野の狭い人間には、長い歳月を渡ってきた古人の言葉は受け取れないでしょう。
(これは、現在の自分に対する戒めです。すぐいい気になる小人ですから。)

岡村先生は、速読と熟読と、両方大事なんだとおっしゃっていましたが、
この言葉も同じことを意味しているのだろうと思います。

ところで、恩師の言葉を時折ここに書き記すのは、
自分一人の中にしまっておくのはもったいないと考えるからです。
謦咳に接することができた者の使命(大袈裟ですね)として、
それを必要とする誰かのために、そっと書き置いておきたいと思うのです。

ですから、個人的な思い出に浸っているわけではないし、
まして虎の威を借るつもりでもありません。

学術上、いつまでも師弟関係に縛られているのはよろしくない、
とは、他ならぬ岡村先生ご自身のお考えでした。
雑談の中で、つい先生の論文に引っ張られてしまう、と言うと、
言下に、それではだめだ、と顔色を改めておっしゃったことがあります。

学説に従うのではなく、この姿勢をこそ継承したいです。

2020年4月16日