推測と憶測(続き)

こんばんは。

民国時代くらいまでの中国の研究に多い論として、
作品が描く内容を、現実世界の中に探り出して結びつけるという方法があります。
表現されていることを、現実の出来事に直結させて解釈する方法、
その基層には、文学作品は現実世界の反映だとする考え方があるようです。

これだと、単なる憶測だと片づけられても仕方がないかもしれません。

他方、作品が内包する不可解さに目を留め、
その綻びや分からなさがどうして生じたのか、考察を重ねていくうちに、
作品の背後にある現実や、作者の心情を究明することとなる、という研究方法があります。
これは、前述の方法とは、結論が似ているようでいて、実はその考察の起点と筋道が異なるものです。
まず不可解さを認識し、その由来を説明する最も合理的な理由を探っていった先に、
現実世界なり、作者の心情なりにたどり着くのですから。

これに対しては、単なる推測(すなわち憶測)だと片づけることはできないはずです。

もし本当にこれを批判しようとするならば、
指摘された不可解さを説明する、更に合理的な根拠を提示すればよいのです。
その前に、その不可解さの認識が共有できていなければなりませんが。

2021年2月23日