推薦を求める者と求められる者

こんばんは。

またひとつ、追記したいことが出てまいりました。

前回触れた「贈徐幹」詩の解釈に関しては、
先にも紹介したことがある龜山朗氏の所論をぜひご参照ください。*1

すんなりと解釈されることを拒むような詩ですから、様々な視点からの考察が必要です。
特に「和氏」の「愆」については、私の捉え方とは異なる解釈が為されています。

また、余冠英氏の説が、私の解釈と非常に近いことをここに付記しておきます。*2
龜山氏の所論では、やや無理がある説だとされていますが。

さて、本日、曹植「贈王粲」の訳注稿を公開しました。

この詩を改めて読み直しての感想ですが、
建安期の曹植の贈答詩には、ある共通するものが底に流れているように感じます。
顕著なのは、建安文人たちの現実参加に対する意欲の強さと、
彼らに対する曹植の対応のあり様が、詩中、繰り返し現れるということです。
曹植は場合によって、彼らを後押ししたり、戒めようとしたり、姿勢を変えはしますが、
有力者への推挽を求める者と、その求めを受ける者と、
両者のやり取りが見て取れるということでは通底しているように思います。

曹植は、曹操という有力者の息子である以上、
そうした立場に由来する力の行使を否応なく求められていたでしょう。
そのことに対して、二十代の曹植がどこまで自覚的であったのか、興味深いところです。

なお、こうした人間模様は、宴席文芸である漢代古詩には広く認められるものです。
たとえば、『文選』巻二十九「古詩十九首」其四「今日良宴会」など。
建安文壇の、漢代からの継承部分がここに明らかです。

2020年4月13日

*1 龜山朗「建安年間後期の曹植の〈贈答詩〉について」(『中国文学報』第42冊、1990年10月)。
*2 余冠英『三曹詩選(中国古典文学読本叢書)』(人民文学出版社、1985年)p.82―84を参照。