文意の取れない書簡文

こんばんは。

先日、訳注を公開した「与陳琳書」ですが、
単語レベルではなんとか理解できても、実はその文意が取れません。
「翠雲」「北斗」「虹蜺」「日月」といった天上界のものを身にまとうこと、
そうした服飾が美しいと言っているところまではわかるのですが、
なぜ、それを「帝王」が身につけないと言っているのか、そこが理解できません。
(そのため、「望殊於天、志絶於心矣」は、苦肉の策であのような解釈をしています。)

この曹植作品を念頭に置いていた可能性のある、
成公綏の「雅楽正旦大会行礼詩」(『宋書』楽志二)では、
西晋王朝の初代皇帝、武帝(司馬炎)の壮麗な姿を歌い上げるのに、
「日月」「五星」「虹蜺」「彗」「慶雲」を身におびるといった表現がなされています。
こうした表現は、成公綏のこの歌辞に限らず、他の作品にも散見するものです。

だから当然、「帝王」は天上界のものを身につけるのだと思っていました。
ところが、曹植の文章にはそれとは逆のことが書いてあります。

それならば、この「帝王」は、一般的にいう「帝王」ではないのか、
もしかしたら、魏王となった曹操を指して言っているのか、とも考えたのですが、
曹植作品において(同時代の他の文人の作品においても)、
この語がそうした用いられ方をした例を見出すことができません。

この書簡文の全文が残っていれば、あるいは解明できるのかもしれませんが、
断片しか残されていない今、未詳とするしかないでしょうか。

2021年5月16日