文章は誰のものか。

こんばんは。

引き続き、曹植「与楊徳祖書」についてです。

曹植の側近であった丁廙が、かつて曹植に、自身の著した文章の潤色を求めたところ、
曹植は、自身の才能はこの人には及ばないとして、これを辞退しました。

昔丁敬礼嘗作小文、使僕潤飾之。僕自以才不過若人。辞不為也。
 昔 丁敬礼 嘗て小文を作り、僕をして之を潤飾せしむ。
 僕は自ら以(おも)へらく 才 若(かくのごと)き人に過ぎずと。辞して為さざるなり。

これに対して丁廙は次のように言います。

卿何所疑難、文之佳悪、吾自得之、後世誰相知定吾文者耶。
 きみは何を逡巡しているのか。文章の良し悪しに関する批評は私が蒙るのであって、
 後世、誰が、私の文章を修訂した者を特定できるというのか。

文章の添削を人にお願いしておいて、
文章に対する良し悪しの評判は自分が受けるのだ、
誰の添削かはわからないのだから大丈夫だ、という発想がわからない。
加えて不可解なのは、この丁廙の言葉に対する曹植の反応です。

吾嘗歎此達言、以為美談。
 わたしはいつもこの至言に感嘆し、美談としている。

なぜこれが美談になるのか、私には長らく理解できなかったのですが、
李善注に指摘する『論語』憲問篇に、少しだけ理解への糸口が見えたような気がします。

為命、裨諶草創之、世叔討論之、行人子羽修飾之、東里子産潤色修飾之。
 盟会を命ずる文章を作るのに、
 裨諶がその草稿を作り、世叔がこれを検討し、
 外交官の子羽がこれを修訂し、東里の子産がこれを美しく彩る。

鄭国の外交文書について、孔子はこのように語っています。
ここにいう文章は、個人的な心情を述べる文学作品ではなく、公的な文書です。
だから、一国の命運を賭けて、複数の人々がその英知を集めて文章を作るのでしょう。
曹植は丁廙の依頼の一件を、前掲のごとく「潤飾之」と表現していましたが、
それは、ここにいう「修飾之」「潤色之」を綴り合わせたものだというのが李善の指摘です。

丁廙のことを指して「若人」と言っているのも、
『論語』公冶長篇に、孔子が子賤のことを称賛するのに用いられている語です。

こうしてみると、ここは前掲の『論語』憲問篇にいう文脈で捉えるべきなのでしょう。
それでもまだ、なんとなく釈然としない思いが残るのですが。

2020年10月6日