新しい表現の生まれるところ

一昨日の続きとして)
曹植の「種葛篇」「浮萍篇」「閨情」詩は、
その中の『詩経』を典拠とする表現のあり様から、
夫婦間の離別に兄弟間のそれが重ねられていると端的に読み取れます。

この表現の新奇性は、
同じ作者の「棄婦詩」(『玉台新詠』巻2)との対比によって、
より一層鮮明になるかもしれません。

まず、「棄婦詩」には、前掲の三作品に顕著な特徴は認められません。
(まだ読んでいる途中なので、断言はできませんが)

そして、本詩には蔡邕「翠鳥詩」(『藝文類聚』巻92)に倣ったと見られる表現が多く、
その表現の取り込み方もかなり生硬な印象を強く受けるものであることなどから、
おそらくは、曹植の若い頃、建安年間の作ではないかと推測されます。
(これもまだ断言はできませんが)

建安年間、すなわち曹丕・曹植兄弟の間に亀裂が走る以前の作品に、
前掲三作品を特徴づける前述の表現が認められないとすれば、
そうした表現は、曹植の境遇の激変に伴って生じたものだろうと考えられます。

曹丕が魏の文帝として即位してからの黄初年間中、
曹植の周囲には、その言動を常に監視する者の存在がありました。
そのような環境の中で、心に去来するものを自由に表現することは不可能です。

棄婦という漢代以来のありふれたテーマに、
兄弟間の決裂を重ねて詠ずる、という曹植作品の新奇性は、
直接的には、彼を取り巻く状況の変化が生み出したものだと私は考えます。

別の言い方をすれば、
まず曹植の胸中に表現しないではいられないものがあって、
それが、棄婦を詠ずる詩歌という漢代以来のフレームを借りて現れ出た、
もしくは、曹植がそのことを表現するために、意識的にそのフレームを用いた、
ということではないかと思うのです。

この点、陸機の「擬古詩」とは方向性が逆だと言えます。*

2024年6月12日

*陸機の「擬古詩」については、拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)第七章の第二節・第三節(p.445―477)を参照されたい。