日々の雑記

中国古典学の分野には、
日々の読書の中で気付いたことなどを記す、
札記という記述様式があります。
(たとえば清朝の顧炎武『日知録』のように)

先学の方々が著された札記というものを、
自分もしてみたいと思いました。

が、私はそれほど頻繁に何かに気付くわけではありません。

では、あれこれ考察した内容なら、とも考えましたが、
終日ぼんやりしている日も少なくありません。

これからは毎日、孜々として励むのだ、
というような誓いを突発的に立てることの無益は、
これまでの経験からよくわかっています。

そのとき、ふと浮上してきたのが、
大好きな武田百合子の『日日雑記』*という書名です。

日々、心の目に映ずる様々なことを、
札記的なもの、考察の断片とともに書いていけば、
細々とでも長く続けていけるかもしれない、と思いました。

ただ、中身はまるで違うのです。
私には武田百合子のような文章はとても書けない、
書けないからこそ、ひたすら味わう、
そんなあこがれの文筆家から、書名の一部を拝借しました。

ありがとうございます。

それではまた。

2019年6月13日

*単行本(中央公論社、1992年)や文庫本(中公文庫、1997年)では『日日雑記』となっている書名ですが、その一部の初出雑誌(和光『チャイム銀座』1987年11月号~1988年4月号)では「日々雑記」であったことを、武田花編『あの頃 単行本未収録エッセイ集』(中央公論新社、2017年)で知りました。せめて「日日」を「日々」として、後塵を拝する恥ずかしさを回避しようとしたのでしたが。