日本人ならではのやり方で
中国広州で開かれた楽府歌詩国際学術研討会に参加してきました。
この楽府学会は(中国の学会がすべてそうなのかは知らないけれど)、
参加者全員(80名を超える人数)があらかじめ論文を主催校に送り届け、
印刷されて冊子(今年は全3冊)となったそれを用いて、グループ別に全員が発表し、
さらに、全員が司会とコメントを交替で担当します。
(司会者とコメンテーターとを分けるのはよい方法だと思いました。)
そして、最後の全体会で行われる、班別討論の統括は、若手研究者が担当します。
中国の人々の中にも、どちらかといえば内向的という人もいるはずですが、
ひとたび壇上に立てば、どんな人も堂々と自分の意見を開陳します。
言葉を発することが楽しくてたまらないという様子で、呼吸とともにびっしりと話す。
批判されても、ひるまず、くさらず、休憩時間も議論を続け、
そして、その後はお互いにからっとしています。
私は「曹植《七哀詩》与晋楽所奏《怨詩行》―献給曹植的鎮魂歌」と題して発表しました。*
研究方法は、彼らのそれとは異質なものだったはずですが、受け止められたと感じました。
誤解されることなく、こちらの考察内容はほぼ伝わったようだ、という意味です。
(曹植の陵墓の地理的環境について、詳しく教えてくださった方もいらっしゃいます。)
そして、だからこそ、一部に問題点があるとのコメントもいただきました。
漢魏の五言詩歌史をどう把握するか、私の考えは中国の定説とはかなり違っていますから。
総じて、オープンで、公平で、陽性の人々だという印象を強く持ちました。
この学会に参加するのは3回目でしたが、そうした印象はいよいよ増してきています。
彼らのこうした美質には心底敬愛の気持ちを持ちます。
と同時に、自分は自分ならではのやり方でいこう、との思いも強くしました。
そうしてこそ、中国人研究者と対等に交流できるのだと思います。
(あと、中国語をなんとかしなければなりませんが。)
それではまた。
2019年11月15日
*『狩野直禎先生追悼三国志論集』(汲古書院、2019年9月)所収「晋楽所奏「怨詩行」考―曹植に捧げられた鎮魂歌―」を再編成して成ったものです。