昨日の追記(詩と史実)

こんばんは。

昨日、曹植「野田黄雀行」に関する先人の解釈を紹介しました。
中国の注釈者たちが指摘するのは、
本詩の背景に、曹丕による丁儀丁廙兄弟の処刑があるということで、
特に黄節は、「雀」は丁儀を、「少年」は夏侯尚を喩えると具体的に推論しています。
すなわち、丁儀を救うことができない曹植は、夏侯尚に希望を託したのだ、と。

たしかに、夏侯尚はそれが請け負えそうな位置にありました。
これまでの罪を問われ、自殺を迫られた丁儀は、
曹丕と親しい、中領軍の夏侯尚に叩頭して哀願しています。
ですが、この夏侯尚でさえも、丁儀を救うことはできませんでした。
(『魏志』巻19・陳思王植伝の裴松之注に引く『魏略』)

夏侯尚が中領軍であったのは、延康元年(220)の後半と特定でき(『魏志』巻9・夏侯尚伝)、
この時、臨菑侯の曹植は、すでに任地に赴いていて、
丁儀ら兄弟の処刑をめぐる一連の経緯を的確に把握できていたかは不明です。

作品に描かれたことと史実とを結びつける論法。
私たちは、現存する史料から様々な推論をすることが可能なわけですが、
肝心の本人に、果たしてそうした見通しができたどうか、
疑問に感じることが少なくありません。

2020年10月25日