晋楽所奏「清商三調」と広義の「清商三調」

西晋王朝で演奏された「清商三調」は、
荀勗が、あまたある漢魏のこの種の楽曲歌辞の中から、
幾篇かを選り抜いて編成した歌辞群であることを昨日述べました。
つまり、『宋書』楽志三にいう「清商三調」とは、
ある特定の歌辞群を、限定的に指す固有名詞のそれであって、
西晋時代に存在したこの種の楽曲歌辞を総称するものではないと言えます。

他方、南朝における「清商三調」はそうではありません。
劉宋の王僧虔による「大明三年宴楽技録」は、
当時伝存していた漢魏の「清商三調」を網羅的に記録したものでしょう。*1
これを今、広義の「清商三調」と呼んで、荀勗撰のそれとは区別しておきます。

晋楽所奏「清商三調」と広義の「清商三調」とをこのように捉えると、
荀勗の歌辞目録「荀氏録」と王僧虔「技録」とが食い違っていることも納得できます。

今、『楽府詩集』に引く両資料を並べて示せば、次のとおりです。
いずれも、『楽府詩集』の編者郭茂倩が引く、陳の釈智匠『古今楽録』からの記述です。

まず、「平調曲」(『楽府詩集』巻30)に引く『古今楽録』から。
王僧虔「大明三年宴楽技録」、平調有七曲。一曰「長歌行」、二曰「短歌行」、三曰「猛虎行」四曰「君子行」、五曰「燕歌行」、六曰「従軍行」、七曰「鞠歌行」。
「荀氏録」所載十二曲、伝者五曲。武帝「周西」「对酒」、文帝「仰瞻」、並「短歌行」、文帝「秋風」「別日」、並「燕歌行」、是也。其七曲今不伝。文帝「功名」、明帝「青青」、並「長歌行」、武帝「吾年」、明帝「双桐」、並「猛虎行」、「燕趙・君子行」、左延年「苦哉・従軍行」、「雉朝飛・鞠歌行*2」、是也。

次に、「清調曲」(同巻33)に引く『古今楽録』から。
王僧虔「技録」、清調曲有六曲。一「苦寒行」、二「豫章行」、三「董逃行」、四「相逢狭路間行」、五「塘上行」、六「秋胡行」。
「荀氏録」所載九曲、伝者五曲。晋・宋・斉所歌、今不歌。武帝「北上・苦寒行」、「上謁・董桃行」、「蒲生・塘上行」、「晨上」「願登」並「秋胡行」、是也。其四曲、今不伝。明帝「悠悠・苦寒行」、古辞「白楊・豫章行」、武帝「白日・董桃行」、古辞「相逢狭路間行」、是也。

最後に、「瑟調曲」(同巻36)に引く『古今楽録』から。
王僧虔「技録」、瑟調曲有「善哉行」「隴西行」「折楊柳行」「西門行」「東門行」「東西門行」「却東西門行」「順東西門行」「飲馬行」「上留田行」「新成安楽宮行」「婦病行」「孤子生行」「放歌行」「大墻上蒿行」「野田黄爵行」「釣竿行」「臨高台行」「長安城西行」「武舍之中行」「雁門太守行」「艶歌何嘗行」「艶歌福鍾行」「艶歌双鴻行」「煌煌京洛行」「帝王所居行」「門有車馬客行」「墻上難用趨行」「日重光行」「蜀道難行」「櫂歌行」「有所思行」「蒲坂行」「採梨橘行」「白楊行」「胡無人行」「青龍行」「公無渡河行」。
「荀氏録」所載十五曲。伝者九曲。武帝「朝日」「自惜」「古公」、文帝「朝遊」「上山」、明帝「赫赫」「我徂」、古辞「来日」、並「善哉」、古辞「羅敷・艶歌行」、是也。其六曲、今不伝。「五岳・善哉行」、武帝「鴻雁・却東西門行」、「長安・長安城西行」、「双鴻」「福鍾」並「艶歌行」、「牆上・牆上難用趨行」、是也。

曲名のみを記す王僧虔「技録」と、
歌辞の冒頭の辞句も併せて記す「荀氏録」という違いは置いておくとしても、
曲名だけからも、両者間にかなりの食い違いがあることは明らかです。

荀勗の選した晋楽所奏「清商三調」よりも、
王僧虔が記した広義の「清商三調」の方が、多くの楽曲を録している、
このような現象が生じたわけを、私は前述のように捉えます。

ちなみに、荀勗が宮廷音楽を掌ったのは泰始九年(273)、
王僧虔の「技録」にいう「大明三年」とは西暦459年です。
楽曲そのものは、王朝の滅亡と楽人たちの流浪を経てもなお、
二百年近くの時を超えて、思いのほか多くが伝わっていたようです。

2023年5月5日

*1 増田清秀『楽府の歴史的研究』(創文社、1975年)p.105には、「私は瑟調曲に限って、僧虔の分類が便宜的なもので、宮廷と関連のない民間の古歌をも包括していると判断する」とあって、私見とはやや異なる捉え方が為されている。
*2「鞠歌行」、『楽府詩集』所引『古今楽録』が示す「荀氏録」は、「短歌行」と記す。今、蘇晋仁・蕭煉子『宋書楽志校注』(斉魯書社、1982年)p.214の案語に従って改める。