書き替えの足跡
今読んでいる曹植「丹霞蔽日行」は、かなり異同の多い作品です。
中でもその第7・8句目、底本(『曹集詮評』巻5)では、
「漢祚之興、秦階之衰(漢祚 之れ興こり、秦階 之れ衰ふ)」ですが、
唐代初めの類書『藝文類聚』巻41に引くところでは、
「漢祖之興、階秦之衰(漢祖の興こるは、秦の衰へるに階る)」となっています。
(『楽府詩集』巻37も同じなのは、『藝文類聚』を襲ったのでしょうか。)
宋本『曹子建文集』では、「漢祖之興、秦階之衰」です。
どういうわけで、このような異同が生じたのでしょうか。
思うに、まず初めにあったテキストは、おそらく、
『藝文類聚』に記されているのと同じ「漢祖之興、階秦之衰」だったでしょう。
ところが、両句とも下の二字が類似する形を取っているので、
これに合わせて、「漢」と「秦」とを句中の同じ位置に揃えたのではないでしょうか。
この二句が対句を為すのだとすれば、王朝名は同じ位置に来るのが自然ですから。
更に、この詩は王朝の切り替わり、易姓革命を詠じているので、
天から授けられた王朝の命脈をいう「祚」が、「祖」に取って代わられたのでしょう。
この二字は字形が似ていて、少し摩耗すれば容易に「祖」は「祚」になります。
加えて、「階秦」の「階」は語釈を要する難解な字義ですが、
他方、「秦階」は、既視感のある「泰階」という語と字面がよく似ています。
「泰階」は、星座の名であると同時に地上の王朝をも象徴的に表すので、
意味としても文脈に沿っているように見えます。
こうした要素が複合的に重なって、
底本のようなテキストとなったと推測できるように思います。
このように書き替えの足跡を辿ってゆくと、
一貫した傾向として、より理解しやすい方へと流れているように看取されます。
分かりたいという欲求は、人として普遍的な心性なのでしょう。
その普遍の前に立ち止まって、面倒なことを考えるのが研究者なのかもしれません。
常識を破るような新見地は、そうして見つけられるものなのだと思います。
2024年2月9日