曹丕も薄葬(追記で結び)
こんばんは。
昨日は、曹操・曹丕父子の薄葬をめぐる雑感へと話が逸れて、
大事なこと(拙論の修正点)を忘れていました。
修正すべきは、次のくだりです。
「曹丕が眠る首陽陵には、当時の慣習により立派な松柏が植えられていただろう。」
阮籍の「詠懐詩」にも詠じられていたとおり、
首陽陵には実際、松柏(を含む種々の常緑樹)が植わっていたと思われます。
ですが、それは、わざわざ植えられたのではなく、
もともと樹木の植わっていた首陽山の一角を陵墓にしたということでした。
それが、曹丕の「終制」によって理解を改めるべき点です。
一方、肝心な部分はそのままで通りそうです。
(何度か書いているのですが、しつこく再度記します。)
すなわち、西晋王朝で演奏された歌曲「怨詩行」は、
本辞の曹植「七哀詩」を、次の点で改変しているのですが、
1、「君若清路塵、妾若濁水泥」を「君為高山柏、妾為濁水泥」へ
2、詩中に吹く風を「西南風」から「東北風」へ
この改変を施された「怨詩行」は、
兄曹丕の陵墓に向かってさまよい続ける曹植の魂を慰める歌だという解釈です。
1の改変は、対句としてはアンバランスですが、
敢えてそうした理由というものがあるはずだと考えた結果です。
2020年8月25日