曹植「大魏篇」における「骨肉」への傾き

曹植の「鼙舞歌」五篇の中に、
曹魏王朝の隆盛を祝い、繁栄を祈念する「大魏篇」という歌辞があって、
その中に、次のような句が見えています。

左右宜供養    左右に宜しく供養すべし、
中殿宜皇子    中殿 皇子に宜し。
陛下長寿考    陛下 長寿考なれ、
群臣拝賀咸説喜  群臣 拝賀して咸(みな)説(悦)喜す。

上半分は、親である皇帝に仕える皇子、
下半分は、皇帝に仕える群臣の有様を詠じています。

上半分は、『礼記』檀弓篇にいう、
親に仕える上では「左右就養無方(左右に就養して方無し)」を踏まえ、

下半分は、『毛詩』大雅「棫樸」にいう、
「周王寿考、遐不作人(周王は寿考、遐(とほ)く人を作さざらんや)」を踏まえます。

「棫樸」には、周王の孝行息子は登場しません。

「大魏篇」は、親子の関係を王朝の君臣関係の中に混在させて詠じています。

たしかに、曹植は曹魏王朝の一族です。
また、儒教では基本的に親子関係を敷衍させて君臣関係に展開させます。

ですが、これを漢代後半以降の感情史、
すなわち、この当時の人々は骨肉の情を重んずる傾向にある、
ということを踏まえて捉えるとどうでしょう。

曹植の作品には、骨肉の情を強く打ち出すものが少なくありません。
それを、彼特有の境遇に照らしてのみ解釈するのではなく、
この時代の基盤的感情からも光を当てる。
すると、彼の言葉はよりその実像に近づくでしょう。

ある人の言葉を、
その人が生きた時代の座標において受けとめる。
そうしてこそ、始めて理解できる人と言葉とがあるように思います。

2025年5月13日