曹植「棄婦篇」と徐幹
昨日、曹丕「雑詩」にいう「展転不能寐」が、
徐幹「室思詩」にまったく同じ句として見えていることを示しました。
この徐幹の詩句「展転不能寐」に学んだかと見られる表現が、
曹植「棄婦篇」にも次のように見えています。
反側不能寐 転々と寝返りを打って眠られず、
逍遥於前庭 前庭をぶらぶら歩き回る。
曹植詩の「反側」は、先に本詩の語釈で示したとおり、
『毛詩』周南「関雎」にいう「輾転反側」を踏まえたものです。
この『詩経』の句「輾転反側」のうち、
徐幹は「輾転」の方を用いて「展転不能寐」と、
曹植は「反側」の方を用いて「反側不能寐」と詠じています。
曹植は、徐幹の詩を意識しつつ、それをわずかにずらしたのかもしれません。
「不能寐」というフレーズの方は、
『文選』巻29「古詩十九首」其十九にいう「憂愁不能寐」以来、
建安詩人たちの作品には少なからず見いだせるものです。
けれども、これが「輾転」「反側」と結びついている点では、
現存作品を見る限り、この時代、徐幹、曹丕、曹植の三人に限られます。
以前、曹植「棄婦篇」の分かり難さについて書きましたが、
もしかしたら、徐幹という人物を介して解けてくることがあるかもしれません。
2024年12月10日