曹植「洛神賦」と王粲「神女賦」

王粲「神女賦」(『藝文類聚』巻79)をながめていて、
曹植「洛神賦」はここに学んだかと見られる表現に遭遇しました。

まず、神女の清楚な様子を描く、王粲の次の二句です。

質素純皓、粉黛不加(質素純皓にして、粉黛は加へず)。
 飾り気のない透き通る白い肌に、おしろいやまゆ墨は加えていない。

これは、曹植の次の表現に流れ込んでいると見られます。

芳沢無加、鉛華弗御(芳沢は加ふる無く、鉛華も御する弗し)。
 かぐわしい脂(あぶら)も、おしろいもつけていない。

王粲の表現は、『楚辞』大招にいう
「粉白黛黒、施芳沢只(粉は白く黛は黒く、芳沢を施す)」を踏まえます。
ですが、王粲はこれをひっくり返して、新たな美を創出しています。
これは、どこにでも転がっている発想ではありません。

そして、曹植の賦は、既存の表現を打ち消している点で、
王粲の発想を色濃く引き継いでいると言えます。

たまたま王粲と同様に『楚辞』大招を踏まえ、
たまたま王粲と同様にこれをひっくり返してみせたと見るよりは、
(このようなことが起こるのは確立的に希少ですから)
直接、王粲作品に学んだと見る方が自然でしょう。

他の例として、神女のほおに浮かび上がるえくぼの表現があります。

王粲の賦にいう「美姿巧笑、靨輔奇才」が踏まえるのは、
『楚辞』大招の「靨輔奇才、宜笑嘕只(靨輔奇才、笑ふに宜しく嘕たり)」ですが、
この「靨輔」という語は、厳可均『全上古三代秦漢三国六朝文』を見る限り、*
宋玉「大招」、後漢の張衡「七辯」、王粲「神女賦」、曹植「洛神賦」があるのみです。

そうであるならば、
曹植作品にいう「明眸善睞、輔靨承権」という句、
(明るく澄んだ瞳がくるくるとよく動き、えくぼがほおに浮かび上がる)
これは、直接的には身近な王粲の作品から着想を得たものなのかもしれません。
前掲の例とあわせて見るならば、その可能性は十分あり得ます。

2023年12月6日

*厳可均『全上古三代秦漢三国六朝文』の電子データ(凱希メディアサービス、雕龍古籍全文検索叢書)によって検索した。