曹植「盤石篇」における「蓬」

曹植「盤石篇」になぜ泰山が登場するのか。
昨日は不可解だったこの問題が、もしかしたら解けるかもしれません。
その考察の道筋を以下に記してみます。

昨日取り上げた「我本泰山人、何為客淮東」に続く
第5句「蒹葭弥斥土(蒹葭 斥土に弥(あまね)し)」の「斥土」は、
黄節『曹子建詩註』に指摘するとおり、『尚書』禹貢にいう

海岱惟青州。……厥土白墳、海浜広斥。
 海・岱は惟れ青州なり。……厥の土は白墳にして、海浜は広斥なり。

を踏まえた表現ですが、
ここで注目されるのが、『尚書』にいう「岱」は泰山を指していることです。
(『経典釈文』に、「岱とは、泰山なり」と注されています。)

ならば、「淮東」をさまよう「我」が、
もと泰山に身を置いていたとは至極自然なことと納得されます。

そこで再び思い起こされるのが本詩に詠じられた「蓬」です。

本詩の冒頭にはこうありました。

盤石山巓石  盤石なり 山巓の石、
飄颻澗底蓬  飄颻たり 澗底の蓬。

「盤石山巓石」は、泰山の山頂とイメージが重なります。
「飄颻澗底蓬」は、「淮東」をさまよう「我」そのものでしょう。

「蓬」は、『説苑』敬慎にいう次のフレーズを踏まえていると思われます。*1

是猶秋蓬悪於根本而美於枝葉、秋風一起、根且抜矣。
 是れ猶ほ秋蓬の根本を悪くして枝葉を美しくし、
 秋風一たび起こらば、根は且(まさ)に抜けんとするがごとし。

この言葉を口にするのは、祖国を棄てて斉に出奔した魯の哀公です。*2

斉の国は、山東半島に位置し、『尚書』にいう「青州」に重なります。
一方、魯はその領土内に泰山を含んでいます。

すると、『説苑』に記された、自らを蓬に喩える魯の哀公の足跡は、
もと泰山の人間でありながら、その意に反して「淮東」の「斥土」にさまよっている「我」、
「盤石」である山頂の石と対比的に詠じられた「飄颻」たる「蓬」と重なります。

「蓬」が直接的に曹植を象徴しているというよりも、
以上に述べたこと全体が、間接的に曹植の境遇に重なるということではないでしょうか。

2025年10月26日

*1『文選』巻29、曹植「雑詩六首」其二にいう「転蓬離本根、飄颻随長風」の李善注に指摘する。
*2 『晏子春秋』内篇上、雑上に記す同内容のテキストでは、魯の昭公としている。