曹植「盤石篇」に登場する孔子

曹植は「盤石篇」の結びで、孔子に言及して次のように詠じます。

乗桴何所志  いかだに乗って どこを目指しておられるのか。
吁嗟我孔公  ああ、我が孔公よ。

この二句は、『論語』公冶長に記された次の故事を踏まえています。

子曰、道不行、乗桴浮于海。従我者其由与。
子路聞之喜。孔曰、由也好勇過我、無所取材。

先生(孔子)がおっしゃった。
「世の中に道が行われないのならば、桴(いかだ)に乗って海に浮かぼう。
私に付き従う者は、それ由(子路)であろうか」と。
子路はこれを聞いて喜んだ。すると先生がおっしゃることには、
「由は、わたしよりも勇を好むが、桴の材料を取るすべを持たないね」と。

「盤石篇」は、「乗桴」という語と孔子とをあわせて用いている点で、
前掲の『論語』を踏まえると見て間違いありません。

ここで、本詩にいう「我が孔公」を、
曹植が付き従っている人物、曹操と比定してはどうでしょう。
そして、『論語』で孔子に付き従っていた子路に、曹植を重ねてみます。

すると、勇気を奮って従軍したはいいけれど、
逆巻く荒波にもまれて肝をつぶし、帰郷への思念を募らせ、
統帥者たる曹操に、先行きへの不安感をぶつける曹植の姿が現れます。
それは悲壮感というより、そこはかとない諧謔を漂わせているかのようです。

なお、ここでは現実との接点を持たない完全な虚構は想定していません。

2025年11月5日