曹植「責躬詩」札記6

こんばんは。

曹植「責躬詩」をなおも読み進めていますが、
その途上で、また、奇妙なものの言い方に遭遇しました。

49 股肱弗置  股肱は置かれず、
50 有君無臣  君有りて臣無し。
51 荒淫之闕  荒淫の闕、
52 誰弼予身  誰か予が身を弼(たす)けん。

ここにいう「予」と誰なのでしょうか。
普通は、本詩の作者が自身のことを指していると見るのが自然でしょう。

ですが、その前にある「弼」は、先日も示したとおり、
『尚書大伝』に説明するところによると、天子を補佐するものです。

更に、第49句に見える「股肱」も、
『尚書大伝』(『文選』巻五十八、王倹「褚淵碑文」の李善注に引く)にいう、
「元首明哉、股肱良哉。元首、君也。股肱、臣也」から判断して、
君主を補佐する臣下を言うのだと思われます。

その「股肱」が不在であるのを、続く句で「君有りて臣無し」と言っています。
第52句は、この流れを受けて出てきたものでしょう。

このように見てくると、「予」を曹植とするわけにはいかなくなります。
曹植は、「股肱」に補佐される「君」ではないし、
「弼」という行為を臣下から受ける「天子」ではないのですから。

他方、これに先立つ第46句には「哀予小臣(予小臣を哀れむ)」と見え、
ここにいう「予」すなわち「小臣」は、紛れもない曹植自身を指しています。
そんな表現の後に、一転今度は自分を君主扱いするとは不自然です。

すると、第52句にいう「予」は、当代の天子、文帝だということになるのでしょうか。
仮にもしそうだとして、ではなぜ曹植はここで、
「予」という第一人称で、兄の立場を代弁しているのでしょうか。

どうにも釈然としません。

2021年11月5日