曹植と張華とを結ぶ糸

こんばんは。

週末に『宋書』楽志を読む研究会に参加していて、
張華の「晋四廂楽歌(朝会用の音楽)十六篇」其五で興味深い表現に出会いました。
(担当された狩野雄氏のご指摘あればこその気づきです。)

それは、西晋王朝の徳政に応ずる瑞祥として詠われた次の対句です。

枯蠹栄 枯れて虫に食われた木に花が咲き、 
竭泉流 枯渇した泉から水が流れ出す。

この対句が、セットで出てくる先行表現として、
曹植「七啓」(『文選』巻34)に、次のように見えています。

鏡機子曰、夫辯言之艶、能使窮沢生流、枯木発栄。
鏡機子が言った。言葉の艶麗さは、涸れ沢に流れを生じ、枯れ木に花を咲かせる、と。

『文選』李善注にも、この対句に対する注釈は見えていません。
また、趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.15にも特に指摘はありません。
ならば、この二つを並べる発想は、曹植オリジナルのものなのかもしれません。
(当時のすべての作品が伝存しているのでない以上、断定はできませんが。)

もちろん、曹植「七啓」と張華の楽府詩とでは、用いられた文脈が異なるのですが、
他の部分にも、曹植作品から取り込まれたと見られる事例が認められることを踏まえると、*
西晋の張華が、朝会で奏でられる音楽の歌辞を作る際、
ひとつ前の王朝の悲劇的な皇族であり、第一級の文人である曹植という人の言葉を、
その文脈とは関わりなく、意識的に多く織り込もうとした可能性も無ではないように思います。

2020年12月21日

*たとえば、曹植「鼙舞歌・大魏篇」(『宋書』巻22・楽志四)に発し、陸機「弔魏武帝文」(『文選』巻60)に用いられた「霊符」という語辞など。