曹植と楊修

こんにちは。

先日、「経国の大○」という表現をめぐって、
曹植「節遊賦」(『藝文類聚』巻28)は、
楊修「答臨淄侯牋」(『文選』巻40)との間につながりを持つかもしれない、
との推測を述べました。

他方、楊修にも曹植と同じ題名の「節遊賦」という作品があります。
同じ『藝文類聚』巻28に、曹植の「節遊賦」「感節賦」に続いて収載されています。
もしかしたら、両者は同じ機会に競作されたのかもしれません。

趙幼文は、上記のことを指摘した上で、
そこに王粲や徐幹の作が収載されていないことから、
曹植や楊修が「節遊賦」を制作した時期は、
多くの文人たちが流行病で亡くなった建安22年(217)以降かと推測しています。*

趙幼文が推測しているとおりかもしれません。
建安22年以降、楊修が曹操に誅殺される同24年(219)までの間は、
曹植と楊修とが親密さをいよいよ深めた時期でもあります。

2021年1月19日

*趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.186を参照。