曹植と魚豢(承前)

こんばんは。

昨日に続き、曹植と魚豢とのつながりに関する考察です。
二人はともに、同じ「韓詩」に由来する表現をしているというだけでしょうか。
それとも、魚豢の表現は、曹植の言葉から直に何物かを受け取った結果なのでしょうか。

まず、曹植の「求自試表」にいう「尸禄」は、
「韓詩章句」に由来する語ですが、『詩経』魏風「伐檀」には見当たりません。
また、魚豢の文章に見えていた「尸素」という語は、
前述の「韓詩章句」に由来する、曹植が用いていた「尸禄」と、
『詩経』魏風「伐檀」にいう「彼君子兮、不素餐兮(彼の君子は、素餐せず)」の
「素餐」とを組み合わせたものでしょう。

いずれにせよ、曹植と魚豢とがともに用いる「尸」は、「韓詩章句」を経てこそ出てくる語です。
二人はともに、たしかに「韓詩」によって『詩経』を受容していると言えます。

では、二人の間に直接的な影響関係はあるでしょうか。
結論から言えば、それは明らかにあります。

というのは、曹植と魚豢の文章が共有する「虚授」「虚受」という語は、
『詩経』本文はもちろん、「韓詩章句」にも見えていないからです。
つまり、魚豢が、曹植の文章の中にこの語を見出し、これを踏襲したのだということです。

そういえば、魚豢は曹植の文章について、次のような言葉を残していました。

余毎覧植之華采、思若有神。以此推之、太祖之動心、亦良有以也。
 余は植の華采を覧る毎に、神有るが若しと思ふ。
 此を以て之を推せば、太祖の心を動かせるは、亦た良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。
 (『魏志』巻19・陳思王植伝の裴松之注に引く)

これにより、魚豢はたしかに曹植の作品を愛読していたと知られます。

2020年11月19日