曹植における天人相関説
こんにちは。
『曹集詮評』を底本に、曹植作品の校勘作業をしていて、
「誥咎文」(『藝文類聚』巻100)の序にいう、
次のような記述が目に留まりました。
01 五行致災、先史咸以為応政而作。
02 天地之気自有変動、未必政治之所興致也。
03 于時大風、発屋抜木、意有感焉、聊仮天帝之命、以誥咎祈福。
01 五行が災害をもたらすことについて、
先代の史書はみな政治に応じて起こるものだとしている。
02 だが、天地の気は自ら変動するのであって、
いまだ必ずしも政治が引き起こすものだとは言えない。
03 ただ、時に大風が吹いて、屋根を吹き飛ばし樹木をなぎ倒し、
心中このことに感じるところがあったので、
すこしばかり天帝の命というかたちを借りて、咎を告げ福を祈る。
原文の01部分は、いわゆる天人相関説を指しています。
それが従前の歴史書ではまことしやかに記されていることを言います。
ところが、02部分では、その思想があっさり否定されています。
曹植は、合理的批判精神の横溢する王充『論衡』を愛読していたと見られ、
そんな彼からすれば、天人相関説などナンセンスだったのでしょう。
にもかかわらず、03部分では、この思想のフレームを借りて、
「咎を誥(つ)げ、福を祈る」ことを述べています。
その言葉が向けられた対象は誰でしょうか。
「誥」は、後世では皇帝が天下に告げるものですが、
『尚書』では、臣下が目上の王に対して告げる場合もあります。*
たとえば、周公旦が成王に新都洛陽の建設について報告する「洛誥」など。
すると、この文章は、皇帝に奉られたものだと見ることができます。
曹植は、前述のとおり天人相関説を信じていないにも関わらず、
この説に依拠して、皇帝を戒めていることになります。
他方、天界のことは政治世界とは無関係だと述べて、
必ずしも現皇帝に落ち度があるわけではないと言っているようでもある。
なぜ曹植は、こんな複雑な表現をするに至ったのでしょうか。
いずれ本作品を読んでから考えたいと思います。
2022年8月18日
*趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.457、曹海東『新訳曹子建集』(三民書局、2003年)p.413は、「誥」を「詰」の誤記ではないかと解釈している。