曹植に対する魚豢の批評

こんばんは。

先に示したように、魚豢は曹植の作品を高く評価していました。
けれどもそれは、彼の現実面での行動に対する批評に続けて記されたものです。
今、先に示した部分を含めて、曹植に対する魚豢の評の全文を示せば次のとおりです。*
(『魏志』巻19・陳思王植伝の裴松之注に引く)

諺曰「貧不学倹、卑不学恭」。非人性分也、勢使然耳。此実然之勢、信不虚矣。
仮令太祖防遏植等、在於疇昔、此賢之心、何縁有窺望乎。
彰之挟恨、尚無所至。至於植者、豈能興難*。

乃令楊修以倚注遇害、丁儀以希意族滅、哀夫。
余毎覧植之華采、思若有神。以此推之、太祖之動心、亦良有以也。
 *この四字は、『資治通鑑』魏紀一、世祖文高帝上、黄初元年の記述により補う。

諺に曰く「貧しきは倹を学ばず、卑きは恭を学ばず」と。人の性分に非ずして、勢の然らしむるのみ。此れ実然の勢にして、信に虚ならず。
仮令(もし)太祖の植等を防遏すること、疇昔に在らば、此の賢の心は、何に縁りてか窺望すること有らんや。
彰の恨みを挟むこと、尚ほ至る所無からん。植に至りては、豈に能く難を興こさんや。

乃ち楊修をして倚注を以て害に遇はしめ、丁儀をして希意を以て族滅せしむるは、哀しきかな。
余は植の華采を覧る毎に、神有るが若しと思ふ。此を以て之を推せば、太祖の心を動かせるは、亦た良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。

これをかいつまんで言えば、次のようなことでしょう。
人の心のあり様は、生まれ持った本性ではなく、環境がそうさせるのだ。
もし曹操が曹植らを早期に押さえていれば、不穏な行動を起こすこともなかっただろう。
ところが、曹植の側近たちは誅殺にまで追い込まれてしまった。
ただ、彼のすばらしい文章を見ると、曹操の心が動いたのも無理はないと言える。

今ひとつ不明なのは、魚豢は曹植の行動をどう捉えていたのかということです。
曹植は帝位を奪取する機会を窺っていた、と見ていたのでしょうか。

魚豢の『魏略』は、時として魏王朝の内部事情にまで踏み込む、当代第一級の歴史資料ですが、
彼が目睹した原資料の中に、そうした行動に出た曹植らの記録があったのでしょうか。

もしそうだとすると、
曹植自身が書き残した作品から読み取れる彼の心情と、
魚豢が諸々の史料の中に読み取った曹植の行動との乖離がひどく大きいと感じます。
これはいったいどういうことなのか、結論を保留にしておこうと思います。

2020年11月22日

*この文章は、すでにこちらでも引用していました。