曹植の「浮萍篇」と「種葛篇」
本日、曹植「浮萍篇」の訳注稿を公開しました。
この詩は、以前にもこちらで言及したことのある「種葛篇」と、
とてもよく似た表現・内容を持っています。
第一に目に留まるのは、「種葛篇」にいう、
「窃慕棠棣篇、好楽如瑟琴(窃かに棠棣篇を慕ひ、好楽 瑟琴の如し)」が、
「浮萍篇」にも、同じ『詩経』小雅「棠棣」(『毛詩』では「常棣」)を踏まえて、
「和楽如瑟琴(和楽すること瑟琴の如し)」とあることです。
「種葛篇」の「好楽」が、「浮萍篇」では「和楽」となっていますが、
これにより、『詩経』にいう「兄弟既翕、和楽且湛」に一層近づくことになります。
こうしてみると、「浮萍篇」も「種葛篇」と同様に、
夫婦の離別に兄弟間の齟齬を重ねる、ダブル・ミーニングの詩だと捉えられます。
また、「浮萍篇」では、
二人が遠く隔てられている今を、昔と対比させて、
「曠若商与参(曠かなること商と参との若し)」と表現していますが、
「商与参」の語は、「種葛篇」の中にも、
「昔為同池魚、今為商与参(昔は池を同じくする魚為り、今は商と参と為り)」
と見えていましたし、
また、「曠」の字は、文脈は異なりますが、
「種葛篇」でも「恩紀曠不接(恩紀 曠しく接せず)」と用いられていました。
両作品は、非常に密接につながっていると言えそうです。
2024年6月5日