曹植の「胡顔」(追記)

こんばんは。

昨日は、曹植の拙速かとさえ思った「胡顔」ですが、
実は彼の腹心であった丁廙の「蔡伯喈女賦」(『藝文類聚』巻30)にも、
次のような表現が見えています。

我羈虜其如昨、経春秋之十二。忍胡顔之重恥、恐終風之我萃。
  私が捕虜となったのは昨日のことのようだが、もう十二年の歳月を経た。
  どの面下げてとの思いで重ねる恥を忍びつつ、
  私を憔悴させる吹きなぶる風が恐ろしい。

「蔡伯喈女」とは、後漢末の大儒、蔡邕のむすめ、蔡琰(字は文姫)です。
彼女は漢末の動乱の中、匈奴に連れ去られ、曹操の尽力によって帰国が叶いました。
丁廙は、同時代の彼女の悲劇を賦作品に著したのです。

この作品のあることを指摘したのは、李詳『顔氏家訓補注』です。*
(この書に附する『北斉書』文苑伝に引く顔之推の「観我生賦」に対する注)

その上で、李詳は次のように論じています。

「終風」と「胡顔」とは対句を為している。
「終風」は、『詩経』邶風の中の一首である。
ならば、『詩経』の中に「胡顔」があってしかるべきだ、と。

たしかに言われてみればそのとおりだと思います。
ただ、昨日も示したとおり、すでに唐代、『詩経』には「胡顔」の語が見えません。
ここから先は、よく見えません。

2021年8月24日

*周法高『顔氏家訓彙注(中央研究院歴史語言研究所専刊之四十一)』(台聯国風出版社、1960年)付録一・144裏、及び王利器『顔氏家訓集解(増補本)』(中華書局、1993年)p.686に引くところによる。李詳の注そのものは未見。

※黄節『曹子建詩註』巻1「責躬詩」附「上責躬応詔詩表」の語釈にも、丁廙「蔡伯喈女賦」を引き、更に『毛詩』小雅「巧言」の鄭箋「顔之厚者、出言虚偽、而不知慙於人(顔の厚き者、言を出すこと虚偽にして、而して人に慙づるを知らず)」を援用して、丁廙と曹植の言うところが同趣旨であることを指摘している。ただし、黄節(1873―1935)と李詳(1858―1931)と、いずれの指摘が先んじるかは未詳。(2021年8月26日追記)