曹植の『詩経』引用
こんにちは。
黄初年間における、曹植の曹丕に対する心情を探る上で、
「黄初五年令」の中の一節が、ひとつの示唆を与えてくれそうです。*1
雍丘王としての曹植のこの公的文章の中に、
「詩云、憂心悄悄、愠於群小(詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に愠らる)」
というフレーズが見えています。
これは、『毛詩』邶風「柏舟」にいう「憂心悄悄、愠于群小」を引用したもので、
その注釈によれば、「悄悄」は憂えるさま、「愠」は怒りをかうこと、
「群小」は君主の傍らにいる小人どもを指すといいます。*2
更に、本詩の序「小序」にはこうあります。
柏舟、言仁而不遇也。衛頃公之時、仁人不遇、小人在側。
「柏舟」の詩は、仁徳を備えながら不遇であることを詠じるものである。
衛の頃公の時、仁徳ある人は不遇で、小人が君主の側近にいた。
曹植の「黄初五年令」は、
このようなテーマを詠ずる「詩」の一節をまるごと引用しています。
おそらく曹植はここで、自身のことを「仁人」と位置づけ、
「群小」によって苦しめられ、「憂心」に沈む境遇にあることを述べているのでしょう。
けれど、そればかりでもないように思われます。
というのは、この「柏舟」詩は、次のような句を含んでいるからです。
我心匪鑑 不可以茹 私の心は鏡ではないから、人の心は測れない。
亦有兄弟 不可以拠 兄弟がいても、あてにはできない。
薄言往愬 逢彼之怒 近づいていって訴えても、彼の怒りに逢うのが落ちだ。
兄弟がいても、自分の力になってはもらえない。
そう嘆くこの「柏舟」詩の、別の一句をまるごと引いている曹植は、
当然、「兄弟」に言及するこの一節も熟知していたはずです。
「黄初五年令」で「柏舟」を直接引用するこの一節は、
君主と自分との間に、小人たちの悪意が介在していることを言うのみならず、
君主であり兄でもある曹丕に、助力を期待することができないことを、
婉曲的に言っている可能性があると考えます。
2022年7月28日
*1『曹集詮評』巻8所収。『文館詞林』巻695には「賞罰令」と題して収載されている。
*2「毛伝(前漢の毛亨・毛萇による解釈)」に「愠、怒。悄悄、憂貌(愠は、怒るなり。悄悄は、憂ふる貌なり)」、「鄭箋(後漢の鄭玄による解釈)」に「群小、衆小人在君側者(群小は、衆小人の君の側に在る者なり)」とある。