曹植のぼやき

こんばんは。

今日も、曹植「与楊徳祖書」についてです。
先日、袋小路に迷い込んで記した「南威」「龍泉」のくだりに続くのは、
次のような一文です。

劉季緒才不能逮於作者、而好詆訶文章、掎摭利病。
劉季緒 才は作者に逮(およ)ぶ能はざるに、好んで文章を詆訶し、利病を掎摭す。

劉季緒は、李善注に引く摯虞『文章志』(佚)によると、
劉表の子で、官は楽安太守にまで至った人。詩賦頌六篇を著したといいます。
『三国志』陳思王植伝の裴松之注に引く同書は、劉季緒の名が脩であることを記しています。
この劉季緒という人物に関しては、今のところこれ以上は未詳です。

その彼は、実作ではとても一流とは言えないのに、
(実際、時の経過とともにその伝記も失われる程度の人物だったのでしょう。)
好んで人の文章を大仰にそしり、長所や短所をあげつらう、と曹植は批判しています。

批判というよりも、ぼやきでしょうか。
というのは、曹植のこの書簡に返した楊修の「答臨淄侯牋」(『文選』巻40)の末尾近くに、
「季緒璅璅、何足以云(季緒の璅璅たる、何ぞ以て云ふに足らんや)」とあって、*
その言い方に、曹植の愚痴をそれとなく受け、慰めている感があるから。

曹植は、この書簡の前半で、代表的な建安文人たちを列記し、
その中には、かなり遠慮なく批評している部分も含まれているのですが、

その動機の一端に、こうした小人物による心無い、些末な批判があったのかもしれません。
もしこの想像があながち外れてもいないのならば、
この時期の文学評論を見る上では必ず言及される本作品であるだけに、
その些か下世話な意外性を面白く感じます。
あたかも泥の中から咲き出でた蓮の花のようです。

2020年10月14日

*集英社・全釈漢文大系『文選(文章編)五』p.629に指摘する。