曹植の奇妙な詩
曹植の「侍太子坐」は奇妙な詩です。
太子である兄曹丕の主催する宴席に侍って作ったと題する本詩ですが、
全体として、なにか不穏な雰囲気が感じられるのです。
この漠然とした不安定感はどこから来るのか。
比較的それが鮮明に見えているのは、次に示す結びの二句です。
翩翩我公子 ひらりひらりと軽快な我が公子、
機巧忽若神 その技芸の巧みさはまるで神業だ。
「翩翩我公子」は、『史記』平原君虞卿列伝にいう太史公の評、
「平原君、翩翩濁世之佳公子也(平原君は、翩翩たる濁世の佳公子なり)」を踏まえています。
とすると当然、『史記』本文のこの直後に続く、
「然未睹大体(然れども未だ大体を睹ず)」を言外に含んでいるはずです。
曹植は決して、太子の軽快さを褒めているばかりではない。
ものごとの大局を見渡す目がない、と批判していることになるのです。
そして、最後の句の「機巧」がまたわかりにくい。
この語は、一般に器械などの精妙な仕掛けをいいますが、
人の属性に対しては、狡猾というニュアンスで用いられる場合が多いようです。
(詳しくは、いずれ公開していく曹植作品訳注稿をご覧ください。)
ただ、いずれの意味で取るにしても、「忽若神」との整合性に疑問が残ります。
意識を張り巡らし、きっちりと計算する感のある「機巧」と、
ふわりふわりとした様子をいう「忽若神」とがしっくりこないのです。
民国の学者、古直の『曹子建詩箋』は、
『三国志』文帝紀や、曹丕『典論』自序などに拠り、
騎射、撃剣、弾棊などの諸芸に巧みであることを指すか、と推測しています。
古直も「機巧」という語に釈然としないものを感じたのかもしれません。
(前掲の通釈は、いちおう古直の語釈に拠っています。)
魏文帝として即位した頃の曹丕に対しては、
曹植はわりあいはっきりと批判の意を表している、と読み取れる場合があります。
(たとえばこちらの第一章をご覧ください。)
それが、曹丕の太子時代にまで遡れるということでしょうか。
それとも、すべては私の思い込みでしょうか。
いずれまた、自分の中で解釈が変わるかもしれませんが、
上記のとおり、現時点での考えを残しておきます。
それではまた。
2019年7月17日