曹植の愛読書
こんばんは。
曹植はどんな本を読んでいたのでしょうか。
彼が正統的で幅広い教養を身につけていたことは明らかなのですが、
一方、当時としては革新的な書、後漢の王充『論衡』にも親しんでいたようです。
過日訳注稿を公開した「贈白馬王彪」にいう
「虚無求列仙、松子久吾欺(虚無なり 列仙を求むるは、松子は久しく吾をば欺く)」、
これと同じような内容の記事が、『論衡』無形篇にこう見えています。*1
称赤松・王喬、好道為仙、度世不死、是又虚也。
仮令人生立形謂之甲、終老至死、常守甲形。
如好道為仙、未有使甲変為乙者也。
赤松子や王子喬は、道を好んで仙人となり、この世を渡って死ななかったと言われるが、これもまた虚妄である。
仮に人が生じて形となり、これを甲とした場合、年老いて死ぬまで、常に甲の形を保持するだろう。
もし道を好んで仙人になったとしても、甲を変化せしめて乙とした者など聞いたことがない。
世間に流布する迷信を片っ端から論破する王充の『論衡』、
これを踏まえているかと思われる表現は、「鼙舞歌・精微篇」にも認められます。
すなわち、その冒頭に列挙された、真心が奇跡を呼び寄せたとされる人物たち、
杞梁の妻、燕の太子丹、陰陽家の鄒衍は、『論衡』感虚篇に連続的に論及されていて、
そこから、曹植が依拠したのはこの『論衡』である可能性が高いと見られます。*2
そういえば、『曹集詮評』巻9所収「説疫気」では、世の人々の迷妄を嘲笑していましたが、
これも、もしかしたら王充から受けた影響なのかもしれません。
ただ、自分としてよくわからないのは、当時における書物の普及の仕方です。
今でこそ広く閲覧に供せられている『論衡』なのですが。
曹植がもしこの書物を愛読していたとして、
彼はどのようなルートでこれを入手することができたのでしょうか。
王充『論衡』の先行研究に指摘があるかもしれません。
2020年5月11日
*1 『文選』巻24所収「贈白馬王彪」の李善注による。
*2 黄節『曹子建詩注』に指摘する。このことは、すでに拙論「漢代鼙舞歌辞考―曹植「鼙舞歌」五篇を媒介として―」(『中国文化』第73号、2015年)で述べた。