曹植の折り目正しさ
こんばんは。
先日は曹植の口の悪さに驚いたのですが、
その「与楊徳祖書」を読み進めると次のような記述に不意打ちを食らいます。
世人之著述、不能無病。僕常好人譏弾其文、有不善者、応時改定。
世の中の人の著述で、欠点が無いということはあり得ない。
僕はいつも人が僕の文章をそしるのを好もしく思い、
善くないところがあれば、その時々に改める。
陳琳を散々嘲笑しても、その同じ目線で自分をも見ています。
そして、自分の作品が悪しざまに言われることをむしろ喜んでいます。
悔しい気持ちもあったでしょうに、批判を受け入れ、文章を改めていったのです。
このような姿勢の背景にあるのは、
李善の指摘によれば、『荀子』修身篇にいう次のような考え方でしょう。
非我而当者、吾師也。是我而当者、吾友也。諂諛我者、吾賊也。
自分を否定的に批判つつ向き合ってくれる者は、我が師である。
自分を肯定的に後押ししつつ向き合ってくれる者は、我が友である。
自分に阿諛追従する者は、我が賊である。
とても当たり前のことを言っているようでもあるけれど、
今の世に在ってはかえって新鮮に感じます。
2020年10月5日