曹植の神仙楽府

こんばんは。

曹植の五言詩は、漢代宴席文芸である古詩や蘇李詩を基にしながらも、
そこから離陸していく部分をたしかに持っています。
こちらでも少し言及しました。)

同様のことは、神仙を詠じた彼の楽府詩にも認められるように思います。
矢田博士「曹植の神仙楽府について―先行作品との異同を中心に―」(『中国詩文論叢』9号、1990年)は、
このことを指摘して次のように論じています。

a.神仙楽府は、漢代、宴会用の祝頌歌辞として、主人の延命長寿を祈願して作られた。
b.曹植は、神仙そのものに懐疑的である一方、それを詠ずる楽府詩の創作には積極的である。
c.曹植の神仙楽府の中には、現実世界に対する批判を含むものがある。
d.それらの作品では、現実否定が、仙界へ飛翔する動機として描かれる傾向にある。
e.現実世界からの逃避として仙界を目指すという発想は、『楚辞』遠遊にヒントを得たものだろう。
f.時の為政者を諷諌する際、神仙の要素は、詠ずる者の身を守る安全弁として機能しただろう。

矢田氏の所論の中で、特に興味深いのは上記のcとdです。
これらは、漢代の宴席で行われていた神仙楽府詩とは一線を画するところでしょう。

こうした表現構造は、魏晋の間を生きた阮籍の「詠懐詩」を彷彿とさせます。*

2020年12月1日

*阮籍「詠懐詩」の表現的基本構造については、大上正美「阮籍詠懐詩試論―表現構造にみる詩人の敗北性について―」(『漢文学会会報(東京教育大学漢文学会)』第36号、1977年。『阮籍・嵆康の文学』創文社、2000年に収載)に夙に指摘する。あわせて、柳川順子「阮籍「獼猴賦」試論」(『日本中国学会報』第38集、1986年)をも参照されたい。