曹植の罪状とは(承前)

おはようございます。

昨日言及した津田論文について、少し訂正します。
津田氏の文学研究に対する言及は、曹氏兄弟の後継者争いについてではありません。
文学研究の分野においては、概して、
曹植の詩文は、彼の政治的「不遇」を背景に制作されている、
との前提で、作品の繋年・解釈が為されているようだが、
その「不遇」の実態については、深く精査する必要があるのではないか、
という問いかけが為されているのです。
(昨日はたいへん不正確なことを書いてしまいました。)

王朝の一員として働きたいという曹植の願いは、それほど的外れの願望であったのか。
この問題は、目下検討している彼の「惟漢行」「薤露行」の解釈と直結します。
それで、津田論文の問いかけに応える必要があると思ったのです。
この点、もう少し検討してみます。

さて、曹植が皇帝の座を狙うようなことがあったのか、という問題について、
私も、なかったと考える立場を取りますが、
伝存する史料から、完璧にこれを証明することはできません。
一方、彼自身の文学作品から、その心情を掬い上げることは不可能ではなく、
(制作年代の推定を行う前の段階において、もっぱら表現面からの分析により、です。)

そこから彼の政治的野心の有無やその内実を推し測ることはできるように思います。

文学研究の立場からできることとしたら、このあたりからでしょうか。
先に述べたことは、このような意味においてです。

2020年9月10日