曹植の臨淄への赴任時期(承前)
こんばんは。
建安年間、すでに臨淄侯であった曹植が、
実際に当地へ赴いたのはいつのことであったのか、
という問題について、過日ひとつの見方の可能性を述べました。
そこで、先行研究ではどうだったかと調べてみました。
すると、黄初元年(即ち延康元年・220年)、
彼は臨淄ではなくて、鄄城に封じられていたのではないか、
という、更に根底からの再考を迫る論に遭遇しました(正確には再会)。
それは、すでに何度か言及している津田資久論文が紹介する、*1
目加田誠、鄧永康、兪昭初の諸氏による指摘です。
津田論文に引く、先学諸氏の所論が挙げる資料のひとつ、
曹植の「上九尾狐表」(『開元占経』巻116、筆者は未見)に、
「黄初元年十一月二十三日」、曹植が「鄄城県北」で九尾狐に出会った、*2
という記事が見えるというのがそれです。
先に、こちらの注で紹介した趙幼文の説は、これと結論が同じです。
この時期の曹植の足跡には、未解明な部分が多いようです。*3
少なくとも、津田論文に引用された先行研究にはすべて当たった上で、
時間をかけて、もう一度考え直したいと思います。
2022年1月11日
*1 津田資久「曹魏至親諸王攷―『魏志』陳思王植伝の再検討を中心として―」(『史朋』38号2005年12月)。その注には更に多くの先行研究が列挙されている。
*2 津田前掲論文は、丁寧な校勘により本文が修訂されている。ただ、筆者はそれらの諸文献を未見であるため、このような示し方をした。
*3 植木久行「曹植伝補考―本伝の補足と新説の補正を中心として―」(『中国古典研究(早稲田大学中国古典研究会)』21、1976年)は、この時期の曹植の伝記を再考しようとするものである。再度熟読したい。