曹植の読んだ『詩経』(承前)

こんにちは。

曹植の読んだ『詩経』(2020.07.02)について、追記です。

曹植「情詩」の第9・10句には、『詩経』の王風「黍離」と邶風「式微」が対で用いられています。
そのうちの「黍離」が、韓詩に基づくこと(黄節の指摘)は先に述べました。
では、もう一方の「式微」はいずれの詩に基づくのでしょうか。
黄節は、魯・斉詩に基づくとして次の文献を挙げます。

まず、『列女伝』貞順伝所収の黎荘夫人の逸話です。

彼女は衛侯のむすめで、黎荘公に嫁いだが、大切にはされなかった。
これを不憫に思った傅母が、詩を作って「式微式微、胡不帰」と詠じ、実家に帰ることを勧めたが、
黎荘夫人は「微君之故、胡為乎中路(微は君の故なるも、胡ぞ中路を為さんや)」と、
その勧めを退けて妻としての道を貫徹した。

これは、魯詩に基づくものです。*1

また、『焦氏易林』(「小畜」の「謙」に之く)にいう次の辞句を挙げます。

式微式微、憂禍相絆。隔以巌山、室家分散。
衰えに衰えたことよ、憂いや禍が連なり合って起こり、険しい岩山に隔てられて、一家は離散した。

これは、斉詩に基づくものです。*2

『毛詩』小序では、次のようになっています。

式微、黎侯寓于衛、其臣勧以帰也。
「式微」は、黎侯が衛の国に仮住まいしていたのを、その臣下が帰国するよう勧めたのである。

帰ることを勧めるという点では、魯詩とそれほど違いはないかもしれませんが、
黄節は、黎荘夫人が堅守した婦道と、曹植が臣下として取ろうとした道とを重ね合わせ、
「情詩」にいう「処る者は式微を歌ふ」を解釈しています。

本詩を、曹植の漢王朝への思いを詠じた作品と捉える従前の説よりは、
はるかに説得力がある解釈だと思います。

ところで、もし黄節の解釈が妥当だとすると、
曹植が読んだ『詩経』は一家にはとどまらないということになるでしょう。
また、曹丕が斉詩に拠っているとする指摘もあって(2020.03.02)、
兄弟で詩経学の流派が違うというのは不自然なので、
その時々で様々な詩経解釈を用いたと見るべきなのかもしれません。
このことについては、経学の専門家に教えを乞いたく思います。

2020年7月5日

*1 陳寿祺撰・陳喬樅述『三家詩遺説考』(王先謙編『清経解続編』巻1139所収)を参照。
*2 陳喬樅前掲書(『清経解続編』巻1119)を参照。

なお、2020年7月2日雑記の欄外に追記したことは、すべて 陳喬樅『三家詩遺説考』に夙に指摘されていた。