曹植作品の佚文か?

こんばんは。

昨日言及した『魏略』に引く曹植の言葉は、諸々の曹植集には未収録です。
これが文章なのか、それとも口頭によるものなのか、後からも検討できるように、
その前文も含めてここに全文を記し、訓み下しを付します。

植雖上此表、猶疑不見用、故曰、
「夫人貴生者、非貴其養体好服、終竟年寿也。貴在其代天而理物也。
夫爵禄者、非虚張者也。有功徳然後応之、当矣。
無功而爵厚、無徳而禄重、或人以為栄、而壮夫以為恥。
故太上立徳、其次立功*1。蓋功徳者所以垂名也。
名者不滅、士之所利。
故孔子有夕死之論*2、孟軻有棄生之義*3。
彼一聖一賢、豈不顧久生哉。志或有不展也。
是用喟然求試。必立功也。
嗚呼、言之未用、欲使後之君子知吾意者也。

植は此の表を上(たてまつ)ると雖も、猶ほ用ひられざらんことを疑ひ、故に曰く、
「夫れ人の生を貴ぶは、其の体を養ひ服を好みて、年寿を終竟するを貴ぶに非ざるなり。貴きは其の天に代はりて物を理(をさ)むるに在るなり。
夫れ爵禄なる者は、虚しく張る者に非ざるなり。功徳有りて然る後に之に応ずるは、当たれり。
功無くして爵厚く、徳無くして禄重きは、或る人は以て栄と為すも、而して壮夫は以て恥と為す。
故に太上は徳を立て、其の次は功を立つ。蓋し功徳は名を垂るる所以なり。
名は滅せずして、士の利とする所なり。
故に孔子に夕べに死するの論有り、孟軻に生を棄つるの義有り。
彼は一聖一賢なるも、豈に久生を顧はざらんや。志に或いは展(の)びざること有ればならん。
是を用て喟然として試みられんことを求む。必ずや功を立つるなり。
嗚呼(ああ)、言の未だ用ひられず、後の君子をして吾が意を知らしめんと欲する者なり。

なお、ここに複数個所見えている「立功」の語は、
『曹植集逐字索引』(中文大学出版社、2001年)によると本作品集の四箇所に見え、
うち三件までは「求自試表」(『文選』巻37)での用例です。

2020年7月22日

*1 『春秋左氏伝』襄公二十四年に、「死而不朽(死して朽ちず)」の意味を問う范宣子(士匄)に穆叔(叔孫豹)が応じて、「大上有立徳、其次有立功、其次有立言(大上には徳を立つる有り、其の次には功を立つる有り、其の次には言を立つる有り)」と。
*2 『論語』里仁篇に、「子曰、朝聞道、夕死可矣(子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり)」と。
*3 『孟子』告子篇上に、生亦我所欲也。義亦我所欲也。二者不可得兼、舎生而取義者也(生も亦た我の欲する所なり。義も亦た我の欲する所なり。二者は兼ぬるを得可からざれば、生を舎(す)てて義を取る者なり)」と。

※厳可均『全三国文』巻十五は、この文章を、『藝文類聚』巻五十三所収「又求自試表」に続けて収載していました。(2022・07.04追記)