曹氏兄弟の子供時代

こんばんは。

曹氏兄弟の子供時代、と言っても想像ですが、
彼らはとても幸福な幼少年期を過ごしていたのではないかと思います。
(一歩外へ出れば、悲惨な民の姿があったであろうことは措いておきます。)

曹操には二十五人の息子がいました(『三国志』巻20「武文世王公伝」)。
これに娘たちも加えれば、相当な人数の子供がともに暮らしていたことになるでしょう。
幼くして亡くなった者たちも少なくはなかったけれど、
それでも年端もいかない者同士、賑やかな日常生活を送っていただろうと想像されます。

加えて曹操は、一族の子で親を失った者たちを積極的に我が家の一員に迎え入れていました。
十歳余りで父を失い、南方を流浪した末に曹操のもとへやってきた曹休は、
「これは我が家の千里の駒だ」と言われて、曹丕とともに、我が子同然に育てられました。
また、早くに父が殺されて孤児となった曹真も、曹操に引き取られ、
諸子と同様に養育されて、曹丕と起居を共にしています。
(以上、『三国志』巻9「曹休伝」「曹真伝」)

何晏や秦朗のような、曹操の側室たちの子らも実子同然に育てられました。
何晏など、いつも贅沢ななりをしていたために曹丕の不興を買い、
養子呼ばわりされていたといいます。
(三国志』巻9「「曹真伝附曹爽伝」裴松之注に引く『魏略』)

こうした子供たちの成育環境は、
旧中国の大家族制度にあっては普通のことだったかもしれません。
ですが、もしかしたら曹操は、将来への布石として、
家族的関係の協力体制を日常の中で構築しようとしていたとも考えられます。

いずれにせよ、曹丕が即位した後の状況は、不幸としか言いようがありません。

2020年6月19日