最良の教育

こんばんは。

昨日から、大学院の授業で『文選』所収の曹植「与楊徳祖書」を読み始めました。
正規の院生は(交換留学生を含めて)いないのですが、
後期から受け入れることになった研究生のために開くことにしまして。

それで、配布資料を作成するにあたって、
昔、自分が受けた『文選』の授業のレジュメを開いてみました。
自分はこのとき大学院生、保存していたのは学部生の作成したレジュメです。
驚きました。
李善注に指摘する出典を、すべて原文で抄出していて(手書き)、
訓み下しも、もちろん翻訳なども書いていません。
手書きなのは、まだワープロすら普及していない時代だったからですが、
原文をごろりと書いてあるだけのレジュメで、当時は演習が成立していたのですね。

もうひとつ、自分で意外だったのは、
レジュメ作成者の名前を見て、すぐに顔を思い出せたということです。
私は決して「親切な先輩」ではなかったと思います。
演習の準備をしている後輩に、自ら手助けしたり助言したりすることはなかった。
というのは、私自身がかつて自力で準備をしたい学部生であったから。
(こういう姿勢は、多分に再考の余地があると今は思っています。)
それでも、名前を見ればその顔がたたずまいとともに浮かび上がってきました。
これは、短い期間ではあれ、研究室という空間を共にしつつ同じ時を過ごしたからでしょう。

岡村先生は、そうした私たちを少し離れたところから見守っていてくださいました。
『文選』という書物を、全員が研究者を目指すわけではない学部生に示し、
示されたものに全力で取り組むことを当然のこととしておられました。
そこから何を学ぶか(あるいは学ばないか)は、個々人にゆだねられていました。
最良の教育を受けたのだと今にして思います。

今の自分の授業では、自身が受けた教育方法を取ることはできないので、
李善注を中心に、補足説明や簡略化などの手を加えながら講読することにしました。

2020年10月17日