根源的な渇望
こんばんは。
今学期は、すべてオンラインの、顔が見えない状態での授業でした。
先には、案外これも悪くないと書きましたが、(それは嘘ではないのですが)
やはり直接言葉を交わすということがどれほど人を元気にするかも身に沁みました。
私のような人間でさえ、人とのちょっとした会話に眼の前が明るくなったりするのです。
まして、曹植のような人が、後半生、兄弟と連絡を取り合うことも禁じられ、
周りに話し相手もいないような環境に捨て置かれていたのですから、
その鬱屈には想像を絶するものがあっただろうと思います。
その前半生、建安年間の彼の作品には、多くの文人たちが登場し、
曹植は彼らと、誠実で自由闊達な交わりを結んでいこうとしていたことがうかがわれます。
そんな彼が、理不尽な孤絶状態に投げ込まれたのですから。
明帝期の曹植が幾度となく朝廷に上奏したのは、
彼が王朝運営への参画に強い意欲を持っていたというよりは、
人間としてもっと根源的な渇望に根差した望みだったのではないかと思います。
2020年8月16日