楽府詩の押韻

こんばんは。

これは、音韻学の分野では疑問に値しないことなのかもしれませんが。

『宋書』楽志二に収録された楽府詩(歌詞)を読む研究会で、
時々、異なる声調にわたって押韻しているのかと疑われるような事例に遭遇します。

現代中国語に四声(四つの音調)があるように、
古漢語にも、平声・上声・去声・入声の四つの声調がありますが、
たとえば唐代の定型詩では、この声調の枠を越えて押韻することはないと聞きます。

ところが、この原則に合致しない事例が、上記の楽府詩群には割合よく見られるのです。
(以下の話は、こちらの韻目表をあわせてご覧いただければと思います。)

たとえば、西晋の「食挙楽東西箱歌十二篇」の第十一篇は、
偶数句末に「塵・鄰・秦・仁・民・震・人・賓・陳・鈞・珍・身・新」という字が並びますが、
隋代に成った韻書『切韻』の系譜を引く、北宋初期の韻書『広韻』によると、
「鈞」は上平声18「諄」、「震」は去声21「震」、他はすべて上平声17「眞」の韻です。
(上平声とは、分量の多い平声を上下ふたつに分割した、その上という意味です。)

このうち、「眞」「諄」の韻は、
唐代の定型詩(近体詩)でも通用され、
『広韻』にも「同用」と記されている、実質上ほぼ同じ響きの韻と見られるものです。

これら、「眞」「諄」の韻に属する上記の文字はすべて平声です。
ところが、その間に挟まれた「震」韻は去声であり、これだけが異質です。

押韻を、同じ平声のものだけに限定し、声調の異なる「震」のみを除外すると、
一首の脚韻が全体として整わないということになるでしょう。*

更に、次のような事例もあります。
成公綏による「晋四箱歌十六篇」の第八篇です。

本詩は、第一句に「命」、
偶数句末に「聖・盛・政・聖・仁・鈞・潤・儁・胤・昆」という字が並びます。

このうち、「命」は去声43「映」、「聖・盛・政・聖」は去声45「勁」で、
この「映」「勁」の両韻は、『広韻』でも同用と記されている、実質上同じ韻です。
ここまでは何の問題もありません。

換韻して、続く「仁」は上平声17「真」、「鈞」は上平声18「諄」、
「潤・儁」は去声22「稕」、「胤」は去声21「震」、
そして「昆」は上平声23「魂」です。

このうち、「真」と「諄」の韻、及び「震」と「稕」の韻は、
それぞれ相互に『広韻』で同用と記される、実質上は同じ響きの韻と目されるものです。

他方、「魂」韻は、同じ平声の「真」「諄」韻と同用ではありません。
けれど、これら三つの韻はすべて、古詩においては通押する、近い響きを持つ韻です。
(ここまでは問題ありません。問題はここからです。)

もし声調が同じであることを押韻の条件とするならば、
この楽府詩の後半部分の押韻は、
「仁・鈞」「潤・儁・胤」「昆」の三つに区分されることとなり、

すると、最後の「昆」だけがぽつんと取り残されることになってしまいます。
ここは、声調が(平声と去声とで)異なってはいても、
「仁」以下「昆」に至るまで、すべて押韻していると捉えるべきでしょう。

『宋書』楽志二に採録されている歌辞は、
その当時、歌われていたことが確実であるものばかりです。
声調は、楽曲のうねりの中に埋没してしまうものなのかもしれません。
ならば、声調は度外視して、韻の響きにのみ注意が向けられても不思議はありません。

2021年4月22日

*于安瀾『漢魏六朝韻譜』(河南大学出版社、2015年)魏晋宋譜・真諄臻(p.175)に、去声の震韻が平声の真韻と通押している例として、張華「武帝哀策文」(『藝文類聚』巻十三)を挙げる。この文章は特に音楽に乗せられたものではなさそうだ。すると、この時代の詩文における押韻は、基本的に声調にはそれほど注意を向けない、緩やかなものだったとも考えられるだろうか。